19:00 晴/暑し 水深中
今日も朝夕は寒く日中は暑い一日であった。思えばこんな天気夜寝るときには肌寒い位が
丁度良く爆睡には最適の状態となっている。
丁度良く爆睡には最適の状態となっている。
昨日で5才になった八男ちゃんはこの一ヶ月くらいいくら寝ても眠いようで朝10時位までは
目が開かず。苦み走ったいい男と言う感じであったが、最近は普通に戻って来ている。
目が開かず。苦み走ったいい男と言う感じであったが、最近は普通に戻って来ている。
6月も近くなると一気に下草は伸びるが今日第一回目の草刈りを実施した。今年は
新旧2台の刈り払い機があるのでlakeSwanの作業もはかどるものと思われる。
新旧2台の刈り払い機があるのでlakeSwanの作業もはかどるものと思われる。
さて今日も早上がりの『よっちゃん』がやってきた。たしか3月から月6回程度来ているので
もう20回以上にはなっていると思う。『ヘキサベ』さんもそうであるが短期間に集中して
練習出来る人は結果的に上達は早いのは当たり前である。
もう20回以上にはなっていると思う。『ヘキサベ』さんもそうであるが短期間に集中して
練習出来る人は結果的に上達は早いのは当たり前である。
『よっちゃん』もご多分にもれず悪癖(持ち癖)というものはあるもののその他の要素の
精度が上がればその悪癖は残るものの総じてキャスティングがなめらかになるので腕も距離も
伸びる。ただこの悪癖意識をもって練習しなければむくむくと大きくなる魚の目の
ようにキャスティングをむしばむものである。
精度が上がればその悪癖は残るものの総じてキャスティングがなめらかになるので腕も距離も
伸びる。ただこの悪癖意識をもって練習しなければむくむくと大きくなる魚の目の
ようにキャスティングをむしばむものである。
もちろんそんな部分は管理人もありある意味完全に克服出来る日は来ないと思う。
ただこれはお手本(管理人の場合はD先生)があっての話で、それがなければ一般には
自分の振りとか個性とか言う言葉で片付けられるものである。
したがって若干の精度、若干の距離ロスなどがあるだけで少なくてもロンベリ以外での
釣りレベルでは何の問題もないと思う。
ただこれはお手本(管理人の場合はD先生)があっての話で、それがなければ一般には
自分の振りとか個性とか言う言葉で片付けられるものである。
したがって若干の精度、若干の距離ロスなどがあるだけで少なくてもロンベリ以外での
釣りレベルでは何の問題もないと思う。
管理人のダブルハンドはいまだに自分のキャストという物を持っていないつもりであるし
今の所持つつもりもない。D先生はD先生はとうるさいとは思うがそれは鹿島新当流の塚原卜伝
の道場に行けばそれを習うのが普通であるからである。ただ直伝ではないので困ってしまうが
だからこそ形態模写を重要視しているのである。(これが中々難しく未だ道半ばである)
今の所持つつもりもない。D先生はD先生はとうるさいとは思うがそれは鹿島新当流の塚原卜伝
の道場に行けばそれを習うのが普通であるからである。ただ直伝ではないので困ってしまうが
だからこそ形態模写を重要視しているのである。(これが中々難しく未だ道半ばである)
これも度々出てくるが最初に師事したのは井庵剛鈍先生、その次が槙健二先生
お次が剛吞豪腕先生そして現在がD先生こと田海胆先生であるが、
型としては先生以上のものは今後出てこないと実は思っているところである。
お次が剛吞豪腕先生そして現在がD先生こと田海胆先生であるが、
型としては先生以上のものは今後出てこないと実は思っているところである。
そんなこんなで田海胆先生が30mのラインを使うなら、ちょっと足りないけど管理人は
29mラインを使い、15feetでは良く解らないけど22mのラインを使うのなら使いたい。
管理人はその辺を含めて型だと思っている。
29mラインを使い、15feetでは良く解らないけど22mのラインを使うのなら使いたい。
管理人はその辺を含めて型だと思っている。
※剣術の流派などは二刀流を除き素人目には区別がつかないが微妙な型の違いで相当数の
流派が存在した。そしてみな我が流派を最強と信じ修練に励んだと思うが、スペイの
フォームはこの辺によく似ていると思う。いつも言うが管理人のD先生のように
目標の型を見つければ、後は動画など毎日見てトレースするのが最も大切である。
したがってこの際自分なりのアレンジを加えることはある意味その型に対し非礼というもの
そしてそのアレンジの多くはマイナスとなるものである。
流派が存在した。そしてみな我が流派を最強と信じ修練に励んだと思うが、スペイの
フォームはこの辺によく似ていると思う。いつも言うが管理人のD先生のように
目標の型を見つければ、後は動画など毎日見てトレースするのが最も大切である。
したがってこの際自分なりのアレンジを加えることはある意味その型に対し非礼というもの
そしてそのアレンジの多くはマイナスとなるものである。
※どうやら最期の仕上とポチをしないで寝てしまったようである。