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Channel: 千歳川のフライフィッシング日記
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三人の牧師(この辺りのこと)

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19:00 曇 水深中

 日本にフライフィッシングをもたらした中の一人に、あの長崎のグラバー邸の
グラバーさんがいるらしい。同氏はスコットランド出身で1838年生まれであるので
明治元年頃には30才位だったはずなので、ひょっとするとスペイキャストも明治の初めには
入って来ていたのかも知れない。

 グラーバさんが亡くなった明治の終わり、そのグラバーさんの社交仲間が大正に入った直後に
立ち上げたのが、日光あたり(中禅寺湖)をフィールドとした東京アングリング・カントリー・クラブ
ある。

 したがってその当時は沙くても貴族の釣り系であったためツイードのジャケットにボウタイあたりで
やっていたのだと推察する。

 その後そのクラブがどうなったのか知らないが、時は移り変わり35年程経った頃、第二次世界大戦が終わり
直後にこの千歳にも進駐軍の基地が出来た。それからさらに20年とちょっと経った頃(1965年~70年)
延べ竿をもって丁度練習場から、浄水場の橋の上カーブあたりをテリトリーとしていた少年管理人は
度々白い大きな人達がルアーやフライで釣りをしているのを見かけている。
何度かは話しかけられたりしたが、なぜか神々しく感じ、この管理人が無口になった記憶がある。

 丁度その頃、アメリカから苫小牧へM牧師(65年)(当時は伝道師)とH牧師(60年)が相次いで赴任している。
管理人が直接面識があるのはM牧師の方であるが、二人ともフライマンである。そして二人に影響されたのか
日本人のG牧師も加え千歳川で釣りをしていたようである。(牧師は土日が忙しい)

 したがってその頃からおそらく、進駐が始まった時点から、この千歳川ではフライもルアーも普通におこなわれた
わけである。(明治の初めには千歳川にはニジマスが国策として放流されている)

 してもう一つの要素が、当時(1965)札幌には何店かフライを扱うお店はあったと思うが、苫小牧には
柴田釣具(後にモノンクル柴田、さらに後にモノンクル佐藤)※モノンクルはフランス語で私の叔父さんの意
があり、マテリアルも豊富でハーディたるやリールもロッドもほとんど全種在庫がされていた。

 ※管理人の世代のこの辺のフライマンの多くはタイイングもキャスティングも柴田さんに教えてもらった人が
  多いはずである。

 まあなにを言いたいかと言えば、ある意味ご当地自慢であるが、つくづく管理人が幸せであったのは、
きちんとしたフィールドと苫小牧ながらしっかりした商品構成と技術を持ったショップがあったと言う事であるが、
ネットで買う時代になれば、そんな貴重な交流も失われるのかと危惧している。

 二人のアメリカ人牧師は年を得られ帰国されたが、ご健康なら時々はこの千歳川を思い出しているはずである。


 

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